『薪』アナトール・フランス2008年11月02日 21時31分39秒

『薪』アナトール・フランス著

『シルヴェストル・ボナールの罪』の
第一部をなすこの一編。
フンフン、と読み進めていき、最後にホォとなる。
単純に物語として読んでしまえばそれだけ。
ここで感じ取るべきは、全体に流れる
当時のギリシャ・ラテン教養人たる著者のエスプリだ。
訳注だけでも一つの作品として楽しめそうだ。

『シジスモンの遺産』オクターブ・ユザンヌ2008年11月03日 21時30分51秒

『シジスモンの遺産』オクターブ・ユザンヌ著

こりゃまた書痴ですなぁ。立派な。
著者がかなりの愛書家ってところがまたいい。

書狂もここまでくるとグロい。
そしてひどく哀しい。

ただ、あまりに行きすぎてしまっていて
読後感はコメディとして残る。
決して笑えないコメディなんだが。

『残菊抄』 島村利正2008年11月04日 17時58分23秒

『残菊抄』 島村利正:著

母娘二代の菊売り。
二代続けて幸の薄い話なのに
愛情を感じられるのは何故だろう。
そういう書き方をしているのだろうけど。

そんなに力んでもいないのに
この「頑張っている」感。
不思議とこちらが励まされているような
錯覚みたいなものまで感じる。

書き手の気持ち次第なのか
読み手の気持ち次第なのか。

こういうのもある。

『トゥルー・ストーリーズ』2008年11月05日 19時51分19秒

『トゥルー・ストーリーズ』
ポール・オースター 著

文庫になっていたので
改めて読んでみる。

何がいいんだかわからない。
ポール・オースターは
やたらに人気があるけれど
正直、何がそんなにいいんだ?

う~ん。
ピンときませんな。

ただ、「折々の文章」の中の
「ゴサム・ハンドブック」は
唯一良いかも知れない。
ソフィ・カルのための文章。

これだけは同じ価値観を共有できる。

またイチャモンつけようっと2008年11月11日 18時22分01秒

いつだったか。
読書週間中の世論調査の結果を
新聞で読んだ時感じたこと。
昨年に比べて読書をする人、
(一ヶ月に一冊以上本を読む人)
が五割以上増えているそうだ。
雑誌を読む人は減ったとか。

増えたから何だ!
と言いたいのを堪えて詳細を読んだ。

読書をするようになった理由というのが、
「知識や教養を深めたい」
「その成果を仕事や日々の生活に生かしたい」
「面白いから」

...寒い世の中になったものだ。

知識や教養なんてものが目的の方。
その時点でもはや無縁のことかと思われる。
それは本=知だった頃の古めかしい
学問像から抜け出せないだけだろう。

読書の成果なんてものを期待している方。
それは幻想みたいなものなので存在しない。
何だろう?成果とは。
辿り着くところがあるのだろうか、読書には。
本を読むということにはその後に続く
何かがなければならないのか。
そういうモノ自体が存在するのか。

面白いから...の方。
一番正しいのかも知れない。
つまらない本を我慢して読むほど
人生は長くないと思うし。
面白いから読むことができる。
だけど、読後の第一声が「面白かった」は
どうでしょう?
何が面白く読めたんだか...
言えないのかよ。

あぁ、やっぱりイチャモンつけて
終わってしまうなぁ。

でも、本当に不思議に思っているのだけれど。
何故本を読むってことが特別なことに
なってしまっているのだろう。
やたらに読書量を誇ってみたり、
人に読め読めと勧めてみたり。
ヘンな文化だなぁ。

これはきっと、
本を読まないのがいけないんじゃない。
本を読んでいる人がいけないのかもしれない。

同じような理由で、
日本語は乱れていないと思う。
乱れた心で日本語を話す人がいるだけなんだと。

ま、その理由はわからないけれど(笑

『バートルビーと仲間たち』エンリーケ・ビラ=マタス2008年11月25日 15時32分13秒

『バートルビーと仲間たち』エンリーケ・ビラ=マタス

あちらこちらで書評を見かけるが
それほどのこっちゃない、という感想だろうか。

書けなくなったことではなく、
書かないことに意味を見出した仲間たち。
いや、仲間意識はさらさらないのだろうけど。

「多弁は時に、何も伝えない」
という心境だろうか。
うん、それならわかるぞ。

まぁ、それにしても今世紀10年の
ベスト翻訳書ってことはないわな。

帯、書きすぎ。